人生は決断の連続であるからして・・・・・・  

 

人には得意不得意があって、僕には決断力がない。

 

僕の数少ない友達には愛すべきバカがいる。

そいつがどれぐらいバカかというと、地元西東京で一番バカな高校に落ちて、埼玉の一番バカな高校に行ったぐらい。加えて専門学校も留年して中退しちゃうぐらいだ。

 

そのバカは中学の時の同級生で、いろいろあったがなんだかんだ地元を離れた今でも仲良くしている。

僕達は西東京のちょっと田舎出身で、僕は今仕事の都合で名古屋に暮らしている。

僕が地元を離れた時ぐらいからずっと、疫病が蔓延しているため、新しい友達を作るのがけっこう難しい。(疫病が蔓延してなくても僕にとっては難しい。)

 

僕が休日にダンゴムシみたいな生活をしていたのを知ってか知らずか、少し前に何人かではるばる名古屋まで2泊3日で遊びに来てくれたことがあった。

1日目に名古屋の居酒屋で酒を飲んでいると、そのバカがかわいらしい店員さんに声をかけていた。

翌日には、水族館にかわいらしい店員さんと一緒に行くことになっていた。

翌々日には、バカと店員さんが付き合っていた。

2泊3日の旅行である。

 

2か月後、バカは仕事を辞めて名古屋に来た。店員さんと同棲するためだ。

2か月後である。

(こうして僕は名古屋に友達ができた。)

 

そいつは決断力がある。勉強は不得意かもしれないが、決断力についてはピカイチだと思う。

店員さんに声をかける決断。店員さんを水族館に誘う決断。付き合おうという決断。仕事を辞めるという決断。地元を離れて名古屋に来るという決断。

 

結局のところ、人生というのは決断の連続である。勉強の連続では決してない。

そうであるならば、勉強をするよりも、決断力を養う方がよっぽど有意義ではないか。

 

そいつの不得意が勉強であり、僕の不得意は決断だ。

僕がダンゴムシのような生活を送っているのはきっと決断力がないからなのだろう。

決断力というのは、“先が見えない不安に飛び込み、その場その場で問題を解決していく力”といってもいい。

決断力も、その他能力と同様に、訓練によってある程度養われるものだとするのならば、僕がすべきことは後先考えずに行動してみることだろう。

 

『Train Spotting』という僕の好きな映画がある。

ジャンキーの主人公が人生を逆転させるために行動を起こす映画だ。

キャッチコピーは”Choose Life”

“選択“の結果が人生であるということを示唆している。

きっとそいつはこの映画を面白いとは思わないだろう。

 

さて、今日の晩飯は何にしようか。パスタにしようか、生姜焼きにしようか、青椒肉絲も悪くない。鶏肉が期限間近のものがあった。けれども少し外食したい気分でもある。どうしようか。

休日について、あるいはワクチンの副作用の副産物について  

 

休むのがへたくそな人間というのは、実はたくさんいるんじゃないだろうか。

というのも僕は休むことに対して、かなりの苦手意識を持っている。

いい休日だった!といって布団に入れた記憶なんてこの1年でほとんどない。

ここでいう“休む”というのは、肉体的な疲労回復のことを指しているのではなく、精神的にリラックスした状態を作れているということを指している。

うまく休めていないことが鬱のはじまりとはよく言われることだが、まったくその通りなのかもしれない。

 

だけど実は最近、思いもよらないところで「精神的に休めたなあ」と感じたことがあった。

それはコロナのワクチンを接種して翌日、副反応で熱を出していたときのことだった。

 

ここでまず、普段の休日について前提を共有しておく必要がある。

ここで例として、とある休日の1日の流れを紹介したい。

 

午前中にAmazonの配達を受け取って、しばらく放置していた自転車の空気を入れて、そのまま買い出しに行って、

ベランダでキャンプ用の椅子でビールを飲んで、眠くなってきたら昼寝して、おいしい麻婆豆腐を作って(甜麺醤や豆板醤から作る、おいしい)、読みたかった漫画を一気読みする。

 

かなりいい休日だと思う。客観的に見ても。

それでも、休日が終わるころには、なんともいえない「ああ、今日も一日無駄にしたなぁ」なんて思ってしまう。

 

こんな“素晴らしい”休日よりも、ワクチンの副作用で寝込んでいた一日の方が無駄にした感が少なかったというのには、自分でも少し困惑するところがある。

 

恐らくワクチンの副作用で寝込んでいた一日というのは、寝ているだけでその日の無意識の最低目標をクリアしているのだろう。

熱を出して体も怠くて腕も痛い、というときには、“休む”ことが最低限かつ最優先になるからだ。

 

一方で体の調子が良いときは、何かしなければ、という義務感が発生してしまう。

仕事に役立つ勉強をしたり、部屋の片づけや掃除をしたり、友達と遊びに行ったりとか。

その日の無意識の最低目標の水準が高くなってしまうのだ。

 

質の良い“休日”を過ごすためには、最低目標の水準を下げる必要がある。(あるいは、毎週金曜日にワクチンを接種する必要がある。)

最低目標の水準をどのように下げればいいかというと、身体を限界まで酷使するといいはずだ。そしたら寝ているだけで最低目標を達成できるから。

趣味が筋トレやランニングのエリートサラリーマンが多いのは、これが理由だろう。

身体を限界まで酷使することで、彼らは良い“休日”ライフを送っているはずだ。

 

僕はこれから毎週金曜日にワクチンを接種する方法を模索してみる。筋トレもランニングもエリートサラリーマンも勘弁なので。