休日について、あるいはワクチンの副作用の副産物について
休むのがへたくそな人間というのは、実はたくさんいるんじゃないだろうか。
というのも僕は休むことに対して、かなりの苦手意識を持っている。
いい休日だった!といって布団に入れた記憶なんてこの1年でほとんどない。
ここでいう“休む”というのは、肉体的な疲労回復のことを指しているのではなく、精神的にリラックスした状態を作れているということを指している。
うまく休めていないことが鬱のはじまりとはよく言われることだが、まったくその通りなのかもしれない。
だけど実は最近、思いもよらないところで「精神的に休めたなあ」と感じたことがあった。
それはコロナのワクチンを接種して翌日、副反応で熱を出していたときのことだった。
ここでまず、普段の休日について前提を共有しておく必要がある。
ここで例として、とある休日の1日の流れを紹介したい。
午前中にAmazonの配達を受け取って、しばらく放置していた自転車の空気を入れて、そのまま買い出しに行って、
ベランダでキャンプ用の椅子でビールを飲んで、眠くなってきたら昼寝して、おいしい麻婆豆腐を作って(甜麺醤や豆板醤から作る、おいしい)、読みたかった漫画を一気読みする。
かなりいい休日だと思う。客観的に見ても。
それでも、休日が終わるころには、なんともいえない「ああ、今日も一日無駄にしたなぁ」なんて思ってしまう。
こんな“素晴らしい”休日よりも、ワクチンの副作用で寝込んでいた一日の方が無駄にした感が少なかったというのには、自分でも少し困惑するところがある。
恐らくワクチンの副作用で寝込んでいた一日というのは、寝ているだけでその日の無意識の最低目標をクリアしているのだろう。
熱を出して体も怠くて腕も痛い、というときには、“休む”ことが最低限かつ最優先になるからだ。
一方で体の調子が良いときは、何かしなければ、という義務感が発生してしまう。
仕事に役立つ勉強をしたり、部屋の片づけや掃除をしたり、友達と遊びに行ったりとか。
その日の無意識の最低目標の水準が高くなってしまうのだ。
質の良い“休日”を過ごすためには、最低目標の水準を下げる必要がある。(あるいは、毎週金曜日にワクチンを接種する必要がある。)
最低目標の水準をどのように下げればいいかというと、身体を限界まで酷使するといいはずだ。そしたら寝ているだけで最低目標を達成できるから。
趣味が筋トレやランニングのエリートサラリーマンが多いのは、これが理由だろう。
身体を限界まで酷使することで、彼らは良い“休日”ライフを送っているはずだ。
僕はこれから毎週金曜日にワクチンを接種する方法を模索してみる。筋トレもランニングもエリートサラリーマンも勘弁なので。